医学部ライフ!

「やりたいこと」を「やるべきこと」に変えると人生はうまくいく

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僕はかれこれ30年生きてきましたが、やりたいことよりもやるべきことをやった方が人生はうまくいくなというのが今のところの結論です。

やりたいことをやるなと言っているわけではありません。

僕らが理性的に考えて行動を起こすトリガーとなる目標や夢は、やりたいことではなくやるべきことを設定した方が人生が豊かになるということが言いたいのです。

やりたいことに責任はない。やるべきことには責任がある。

やりたいことっていうのは、裏を返せばやらなくてもいいことです。

やるべきことはやる「必要」があることです。

こう書くと、やりたいことよりもやるべきことをやる方がいいのは自明のことなんですが、やりたいことは楽しいこと、やるべきことは楽しくない義務的なことというイメージがあるから、みんなやりたいことを魅力的に感じてしまうわけです。

しかし、そういう考え方自体が間違っているし、現代という時代による錯誤であると僕は考えています。

医学部に行きたい人、行けなかった人、行けた人

話は変わりますが、世の中には残酷なことがあります。医学部というものも、なかなか残酷な世界だと思っています。

医学部に進学できている人の多くの親は医者です。実際に聞く話ですが、親である医者が、子供が医者になることを強制しているわけではない場合も多いです。

逆に、親が医者じゃなく、自分の純粋な動機によって医学部に入学できている人は圧倒的に少ないです。

これって、医学部に入りたいって思った人よりも、医学部に入るべきとか、医学部に入るのが普通だし必要条件と考えた人が入学できていると言えます。

医者になりたい!とかって誰でも思えますが、そこに必要性を感じない限り、そもそも医学部に入ることができないわけです。

医学部入れないならば自分の人生は終わりだと思っていた

僕の個人的な体験談になりますが、僕は文系の私立大学の4年生の時に、どのような人生を歩むことがベストなのか真剣に考えました。

それこそ、色々な職業や職種を調べて自分自身が働いている姿をイメージしながら考えました。

そして、自分が医者をやっている姿以外、イメージできなくなりました。

そこに至る過程においては、優柔不断で相談していた先輩にイラつかれたこともありました。「そんなイジイジするくらいならとりあえず目指して結果出せ」と発破をかけられました。

そこらへんのタイミングで、親にも医学部を目指すことを伝え、自分が医者になることが自分にとってのやるべきことだと認識し、そっから地獄の5年間を経て、医学部に入学することができました。

僕にとって、医学部に入ることはやりたいことではなく、やるべきことでした。

医学部に入れないならば、自分の人生ゲームオーバーだなという気持ちでやりましたし、色々なものを捨てましたし、周りに公言することで言い訳できない状況を作りました。

やるべきことには責任が付きまといます。その責任が、自分自身の人生を豊かにする。その繰り返しが僕にとって、しっくりくると思っています。

やるべきことを楽しくないものにすべきではない。

やるべきこと、やるべきことって考えると息苦しく感じたり、楽しくないことに時間を費やすことに抵抗を感じるかもしれません。

しかしそうではないのです。やるべきこと=自分にとって必要なことで、ネガティヴなことではありません。

例えば、御飯を食べることは私達にとって必要なことですが、ネガティヴなことではないですよね。

自分にとって必要なことを認識して、それをやっていく。そういうことの繰り返しが重要であると言いたいのです。

 

やるべきことは自分の性格や信条やプライドから自ずと生まれてくる。

やるべきことは自分の内なる心にある性格やプライド、信念や感情という抽象的なものを社会的な具体的目標に変えることで成立します。

堅苦しく言ってしまいましたが、要は、自分の性格からだいたいやるべきことは決まってきます。

プライドの高い人は、偏差値の低い大学に行くと、コンプレックスになりますよね。だから、そういう人は、偏差値の高い大学に入学することがやるべきことなんです。

女性経験が多い男性は、女の子が好きで好きでしょうがないからそうなるわけです。ある意味必然を感じているのでしょう。女性と関わりを求めなければストレスを感じるから、やるべきことをやっているだけのことです。

僕の場合だと、父親よりも絶対に稼ぎたいという思いがありました。のくせに、行動力もなく、気も弱かったです。それでも安定した生活、つまり父親よりも全く稼げない生活をするのは絶対に嫌だという気持ちはありました。それはプライドなのかもしれません。

その塞ぎようのない心、後は自分は気が弱く、弱い立場の人の気持ちがよくわかる。だから、医者しかないんじゃないかと思ったわけです。動機の善し悪しは置いといて、医学部に行くことは僕には必然の選択だったのです。

 

やりたいことをやるべきことに変える試行錯誤と根拠づけが重要

ここまで述べてきたことを整理すると、やりたいことをやるべきことに変える試行錯誤と根拠づけが必要なわけです。

僕も、医学部に行けたらいいなーと感じていましたが、そこに自分自身の性格やプライドという根拠をくっつけることにより、必然に変えていきました。このプロセスは時間がかかる場合もありますが、非常に重要なプロセスです。

良い具体例

主婦の節約というものは、子供や将来の貯蓄のために行うものですよね。これはやりたいというよりもやるべきことだからやるわけです。

やりたいことをやって失敗した例

僕は可愛い女の子がいた時に積極的にデートに誘うことがありますが、その場のノリみたいなところがあって、後々後悔することが多いです。そこまで必要性を感じていないからそうなってしまうわけです。

 

恋愛は特にやるべきことを意識する

恋愛は特にやりたいことよりもやるべきことをやることをオススメします。

恋愛は必然で始まるからです。

僕は恋愛経験が豊富な方ですが、恋愛失敗経験はもっと豊富です。

痛い目に合ったことは何回もあります。そのほとんどは、必要性がないのにやってしまったことに起因しています。

不自然な関係性

数々の出会いを経験してきてわかったことは、不自然な関係性は長続きしないということです。

ナンパ、出会い系、ラインから始まる関係性などはその顕著たるもので、それらはやらなくてもいいことですよね。

僕は以前、可愛い女の子が僕の後輩と仲良く喋っていたので、その後輩に頼み込んでラインを教えてもらい、飲み会を設置したものの、結果は散々なものでした。

お金は吹っ飛ぶわ、そもそも性格が全く合わない女性でしたし、向こうも何で飲み会を誘ってきたのか意味不明な感じでしたし、訳もわからず、何の生産性もないまま関係が終わりました。

僕はこんな感じで、調子に乗ってやったことは、失敗に終わっています。確かにネタとしては面白いですが、僕はそれよりもメンタルがやられるデメリットの方がでかいと感じます。

必然とされる、自然な流れが恋愛には重要

逆に上手くいく恋愛というのはお互いが必然としている場合、また同じ環境を共有している自然な出会いの場合が多かったです。

僕がめちゃめちゃタイプな女の子がいたとしても、向こうが僕を必要としていなかったり、一緒にいるのが自然な感じじゃない限り、僕の場合、恋愛が成り立ったことはないです。

例えば、向こうが自分のことをかっこいいって思ってくれて見込みはありますよね。相手は自分のビジュアルを必要としてくれているわけです。僕達が可愛い女の子を見て癒されるように。

やるべきことをやる人生を。

毎日、あなたはどのような行動をして生きていますか?

僕は、やるべきことをやると安心します。それは、自分がなぜ生きているのか、何のために生きるのか、に密接に関わっていることがやるべきこととして存在するからです。

だから、今日やるべきことを考えて紙に書き、それを愚直に実行する。それだけで心が満たされます。

やるべきことって本当にたくさんあります。本気でやるべきことをやろうとしたら日が暮れてしまうくらいあるはずです。youtubeを見ている暇は本当はないはずです。

毎日の予定、毎日やっていること、そして目標や夢をもう一度見直してみましょう。それは自分にとって必要なものなのか自問自答してしましょう。

自分に対して戒めのような気持ちでこの記事を書きました。共感してくださる人がいれば嬉しいです。

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