お久しぶりです。J +です。
怒涛の試験期間が終了し、おそらく6年生の進級が決まりました。
進級が決まったと同時に、iPad Airを購入しました。これで6年生の勉強の準備は万端です。
最近、気づいた変化があります。
本が読めなくなった!
ということです。医学部に所属している学生は特にこういう人が多いんじゃないでしょうか。
医学部の試験勉強の本質は「暗記」です。臨床として、そして試験に出る内容として重要なポイントを隅から隅まで暗記していきます。
また、これは重要ではないポイントを読み飛ばすということです。
つまり、医学部の勉強とは、
・試験という目的のために必要な情報を取捨選択する。
・取捨選択して、選ばれた重要な内容をひたすら暗記していく。
という作業になるわけです。
こういう習慣が確立されていくと、どうなるか。
本を読む場合に限っては、
・明確な目的を持った前提でその目的に沿った本を選ぶ。
・選んだ本で重要な内容を抽出し、暗記していく。
というような感じになってしまいます。
本を読むということに関して、明確なルールは存在しませんが、いざこういう感じで本に向かい合うと、マジで全然本を読む気にならなくなるわけです。
本というのは、人の出会いと同様に様々な気づきや新しい視点を与えてくれる素晴らしい人類の産物だと思っています。
小説を読み終わった後は、自分の言葉遣いや内なるアイデンティティーが変容していったりすることを感じることができます。
自己啓発を読んだら、なんだかわからないけど、やる気が満ち溢れてきたり。
私にとって、手軽に手に取って読んでいたそういう存在がいつの間にか、重くて手を出しにくいものに変わっていったのです。
これも、医学部という特殊な環境が生み出したものなんだなと感じています。
それが良いのか悪いのか。
悪いように書きましたが、私は実は良いことだと感じています。
医学というのは、学んだら忘れてはいけないもの、医学の常識が変わらない限り、普遍的な知識として存在しています。
だからこそ、忘れていたり、間違った知識を持っていたりすると、その都度何度も何度も覚え直させられるわけです。
私はそういう医学というものに対して、最近愛着のようなものが湧いてきました。
読んだ本に対して、内容を一字一句同じように説明できる人はいないと思います。読んだ内容の要約をしっかりと説明できる人も意外と少ないのではないでしょうか。
私は、これからは読んだ本に対して責任を持って、要約がいつでもできるような状態まで持って行きたいと思っています。
だから、欲しい本は買って、本棚に保存する。
本との関係性も、人との関係性も、モノとの関係性も、同じように大切にして生きたいと考えています。
このように考えるのは、「記憶」というものが人間にとって最も価値があるものなのではないかと考えているからです。
私は記憶力が悪く、受験勉強も、試験勉強も苦労したという経験があるからこその考えかもしれません。
裾野を広げるといった行為も大事ですが、それぞれの記憶やアウトプットが中途半端だと、そこに価値はないと最近の私は考えています。
具体例を挙げましょう。
私は患者には優しい医者になりたいと思って勉強しています。そして、同じ実習班のメンバーである友人A君は、とりあえず成績が良かったからという理由で医学部に入学して勉強しています。
実習で小児科を回っていた時に、先生に「川崎病の症状をできるだけ挙げて」と言われ、私が言えたのは3つ、A君は6つの症状全てを言いました。川崎病というのは、6つの症状のうち5つ以上の症状を満たした場合に、診断確定となる疾患です。
さて、患者さんはどちらの人間を信頼するでしょうか?
僕が患者だったら間違いなくA君を信頼します。
自分がどのような思いを持って医者を志しているかといったことは、勉強へのモチベーションとしては必要かもしれませんが、実際に必要なのは、知識とそれを適切にアウトプットできる能力です。
大志を抱いていること自体を言い訳にして、優しい医者になれば患者はついてきてくれる!と考えて知識を習得する責任や義務を持たない自分が少なからず存在したことを私は恥じています。
どの世界にも言えることですが、結局は結果で判断されます。そして、その結果は間違いなくプロセスの良さで生まれるものです。
自分の思いとか気持ちとかいうものは、実際はプロセスに反映はされず、プロセスに反映されるのは、自分がその結果を得るためにどのような行動を取ったか?ということが重要になってきます。
プロセスが良くても結果が良くなるわけではないことも確かですが、長期的に見れば正しいプロセスを歩むことが良い結果に繋がることは証明されています。
話がやたらと脱線しましたが、私は適当に本を読むということができず、読むならしっかりと読んでアウトプットする、読む本は今後の人生に影響が出てくる可能性があるのでしっかりと吟味する。本一つに対してもそういった抜かりないプロセスが必要である、というように今は結論づけています。