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忙しい人の代わりに幸せについて考えてみた〜幸福の心理学(マイケル・アーガイル)

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自分の幸せって何なのか?よく人は悩んだ時や苦しい時にこういう事を少なからず考えると思う。

しかし、考える時間もなく日常を過ごしてしまうことが多いと思う。それに気付いたのは最近。僕は自分が暇な生活をしていた時期があったから考えられただけであって。

幸福は測定できる

単一の次元で幸福は測定できる。
どうやって?

大別して2つ。情緒的側面という尺度と認知的・熟慮的側面という尺度によって測定できる。
情緒的側面というのは、例えば、嬉しい、楽しい、悲しいなどの観点。それに追加して健康も。
認知的・熟慮的側面というのは、人生に対する満足感や心の不安などの観点である。

だらだら書くとあれなんで、本能的なものと理性的なものってなんかアンケートなりデータ取ったりすれば測定可能ですよねっていう話。

健康かどうかとか、人生に対する満足感はどうか、とか苦悩を持っているかどうか、とか。

もちろんこの幸福度の測定には問題点がある。幸福の測定は結局主観でしか測れないし、満足度には個人差がある。それに、日によって気分の変化とかで測定値が変わるかもしれない。

このような問題点こそあるものの、幸福度の測定は、かなり特殊な質問で聞くなり、巧みな測定法を設計すれば、ある程度回避できると書いている。

 

人格によって幸福度は変わる

幸せな人と、不幸な人ってある程度特徴がある。いつも文句垂れてる人とかまさに不幸そうだし。

 

幸せの人の特徴

一貫して幸福であるという傾向の人々がいる、とこの本には書いている。

そのような幸せな人は、「物事の明るい面をいつも見ている」「外向性が強い」「やりがいのあることを選択して行動している」「高い自尊感情を持っている」「内部統制に優れている」「内部葛藤の欠如(内部葛藤しない)」「申し分ない社会的関係を持ち合わせている」「目標志向」「余暇への没入」などの特徴がある。

宗教は副次的ながら人を幸せにする明確な根源である。これは高齢者に重要な意味を持ち、夫婦生活の幸福観や健康との結びつきにもなる。

 

不幸な人の特徴

孤独で、神経症が著しいという傾向がある。

うつな人は不幸を感じやすい。うつは、人生の過酷な出来事と社会的支持の欠如のような各種の脆弱要因が重なって起こるものである。

人格的な側面のことだから、つまり性格上の問題だから、幸せ、不幸はコントロールできないんじゃないかと思うがそれは違うと思う。これは意識すれば、不幸にも幸せにもなれる可能性があることを示唆している。

幸せな人の特徴のほとんどは、努力すれば可能なんじゃないか。実際に、僕は無意識的に幸せな人のような特徴を実践しているときがあり、その当時は本当に幸せを感じることができたことを思い出した。

そして今、意識して不幸になろうとしている自分がいるのに気付きました。もう一度、自分は幸せを目指しているんだということを再確認して、幸せになるための特徴を意識して頑張っていこうと思った。

 

不幸な人間は率先して不幸になろうとしているわけではない

「不幸な人はなぜ現在不幸なのか?」

人々は、幸せを目指す生き物なんじゃないだろうか。これが大前提だとしたら、不幸な人は、幸せになりたいけどなることができない、か、幸せになるために不幸になっている、のどちらかだと思う。

幸せになりたいが不幸な人は、何らかの要因があるだろう。それらは何らかの解決法が必ず存在するはずだ。それは先ほども述べたとおり幸せな人の特徴を意識づけるか、不幸な人の特徴を除去するかのどちらかでほとんどの解決がなされると思う。

幸せになるために不幸になっている人は、いったい・・・。これは時間的に現在は不幸だが、それは今後の幸せのためであるというように捉えることができる。このような人々はたくさんいる。そしてこのタイプはもうひとつの種類があると思う。それはわかりやすく言い換えると、(誰かを)幸せにするために不幸になっている人である。例えばの話、生贄をささげなければならないとき、「私はみんなが幸せになるために犠牲になって生贄になるわ」と言って自ら生贄になろうとする人がいるとする。そのような人をここでは指している。これはもしかしたら幸せなのかもしれない。ただ、僕にはそのような自己犠牲にはリスクがありすぎるのではないかと思ってしまう。しかし、そのような犠牲によってもしかすると幸せになる可能性はあるとも思う。

このように考えると、不幸になる原因がわからずに人生を過ごしている不幸な人が一番不幸だと言えそう。

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