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中途半端な「人のため」「優しさ」は自分の首を締めかねない。

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誰にでも、「優しいね」と言われた経験があると思う。だが、その意味を理解している人って案外少ないんじゃないかと。

 

人のために何かをやることが優しさだと思っていた時代があった

よく、人のために動くことを率先してやるタイプの人の中に、それをストレスと感じながらでもやる人がいる。

正直、それは優しい人とは言えない。

例えば、何らかの行事で人が足りてないからっていう理由で、来てくれる人がいる。

じゃあ、部活で人が足りなくてゲームができないとして、そのために先輩が駆けつけてきてくれたとしよう。

それ自体は本当に助かるんですが、後々「僕、本当は行きたくなかったんだけどな。てか、今日は実は用事があって云々カンヌン」とか愚痴をこぼされたら、感謝の気持ちはこちらからはなかなか出てこないと思う。

僕はこの種のタイプの人が苦手だ。しかし、自分がそういうことをしてしまうことがあるのも事実。

「優しい」とたまに言われる理由は「人のために何かをしてあげる」からだと勘違いしやすい。

優しいと言われて嫌な気持ちになる人は少ないはず。

そうすると、もっと優しくなろうとか思って頑張ると失敗する人も出てくる。

優しいと言われる理由が、「人のために何かをしてあげる」からだと思う人も多いだろう。でもそれは正しいようで正しくない。

条件付けが必要。

「人のために何かをしてあげる。ただし、それ自体が自分のためになっている。」ここまでが優しさの真相。もっと言えば、「自分のためにすることが人のためになっている」こと。

 

自分のためにすることが人のためになっている

僕は留年した時に、これ以上親に迷惑をかけられないと思い、大学を辞めようと思った。

辞める決意で、留年した時に行われた大学教員との面談に臨んだ。

その時に、「君は真面目だし、医者になった時にはいい医者になる。今辞めるのはもったいないよ。」と大学教員に言われた。自分のことを全否定していた当初、僕の心は温かい気持ちで満たされた。それがきっかけでもう一度、もう一度頑張っていいのかな?と思った。

父親もその面談に参加していて、心を打たれていたのに僕は気付いた。

父親に一番迷惑をかけているのに、もう一度頑張る気になったと言っていた。

その後、父親に言われたことは、「おまえは周りの目を気にしすぎる。もっともっと貪欲に自分のやりたいことを、人を蹴り倒してもいいからやっていかないと、逆に人の迷惑になる。自分のために、親であろうと何であろうと徹底的に利用しろ」と。

父親の真意はどこにあるかはわからないが、この人は本当に優しい人だなと思った。

 

全ては自分のために。

僕はこのストーリーを機として、基本的に人のために何かをやるということをやらなくなった。

自分が全力で助けたいと思う時だけ本気を出す。でも、中途半端な優しさは自分の首を締めるだけ。

そして、まずは自分自身の幸せを確保しなければ、本当の意味で優しい人間にはなれない。

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